神は一つの組織を用いて人々を導いています。そしてその組織とはものみの塔協会です。

確かに組織はそのように主張していますね。

エホバが常にただ一つの組織を通して働いてこられた、ということを思い出すのは良いことです。
「あなたはかつてエホバの組織と交わっていましたか」『ものみの塔』1988年1月15日号、22ページ

聖書を研究し、わたしたちはエホバが常にご自分の僕たちを組織的な方法で導いてこられたことを学びます。そして、西暦1世紀に真のキリスト教の組織が一つしかなかったように、今日でもエホバは一つの組織だけを用いておられます。
「邪悪な霊たちとの闘いのために武装する」『ものみの塔』1983年4月15日号、27ページ

また、楽園で永遠に生きるための条件として、その組織に属することが挙げられています。

第三の要求は、神の経路すなわち神の組織と交わることです。神は常に一つの組織を用いて来られました。例えば、ノアの日には箱船に乗っていた者だけが洪水を生き残り、1世紀にはクリスチャン会衆と交わっていた人々だけが神の恵みを得ました。(使徒 4:12)同様に、エホバは今日もご自分の意志を成し遂げるために一つの組織だけを用いておられます。地上の楽園で永遠の命を受けるには、その組織を見分け、その組織の一員として神に仕えなければなりません。
「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます―しかしどのようにして?」『ものみの塔』1983年5月15日号、12ページ

それでは、一世紀以後、ラッセルが登場する十九世紀の後半まで、神はいったいどの組織を用いて人類を導いてこられたのでしょうか。

一世紀当時にはすでに相当数の弟子がおり、聖霊の導きにより広範囲にわたってキリスト教が宣べ伝えられていたと言われています。

明らかに、1世紀における真のクリスチャンの伸展は、聖霊の力や導きと密接に結びついていました。弟子の数は増え、神の言葉は広い範囲に伝わり、当時のさまざまな宗教や哲学に打ち勝って優勢になりました。
「エホバの言葉は盛んになっていった」『ものみの塔』2001年4月1日号、14ページ

その後起こった事態について、ものみの塔協会は次のように説明しています。

悪魔サタンは初期クリスチャンを沈黙させることができませんでした。そのため、背教という別の手段によって良いたよりの及ぼす影響に対抗しました。イエスはこうした展開について、小麦と雑草のたとえ話の中で予告していました。(マタイ13:24-30,36-43)
「真のキリスト教は行き渡る」『ものみの塔』2001年4月1日号、14ページ

24 [イエス]は彼らに別の例えを示してこう言われた。「天の王国は、自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。25 人々が眠っている間に、その人の敵がやって来て、小麦の間に雑草をまき足して去りました。26 葉が生え出て実を生み出すと、その際に雑草も現われました。27 それで、その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました、『ご主人様、畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに、どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか』。28 彼は言いました、『敵である人がそれをしたのだ』。彼らは言いました、『では、わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。29 彼は言いました、『いや。雑草を集めるさい、小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。30 収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら、わたしは刈り取る者たちに、まず雑草を集め、焼いてしまうためにそれを縛って束にし、それから、小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい、と言おう』」。
マタイ 13:24-30

雑草がまかれたとはいえ、小麦は成長し続けると書かれています。小麦が枯れてしまうことはありませんでした。つまり、一世紀以降も真のクリスチャンは存在し、成長し続けてきたはずです。また、聖書が多くの迫害にあいながら、今日まで存続してきたのは、神の助けによるのならば、聖書を書き写した人々も真のクリスチャンであるはずです。

そのような激しい反対があったのですから、聖書が生き残ったことに対する誉れと感謝はすべて、み言葉を保存してこられたエホバに帰されるべきです。
『洞察-1』、1272ページ

この真のクリスチャンたちはどのような組織を持っていたのでしょうか。統治体は存在したのでしょうか。ものみの塔協会は定期的な霊的食物が必要だと主張していますが、当時はどのように供給されていたのでしょうか。

神に対する愛や信仰は、一度建てたらめったなことでは壊れない建物のようなものではありません。むしろ、それは規則正しく養われれば少しずつ成長するものの、飢えれば衰えて死んでしまう生き物のようです。そのようなわけで、エホバはご自分の民を強めるため、定期的に霊的食物を備えておられるのです。わたしたちすべてはそうした食物を必要としていますが、神の組織とその集会以外に霊的食物を得られるところがあるでしょうか。どこにもありません。―申命記 32:2。マタイ 4:4; 5:3。
「クリスチャンの集会に出席する必要があるのはなぜですか」『ものみの塔』1993年8月15日号、9-10ページ

そのような記録は残っていません。また、ものみの塔協会は現在の協会の教えに比較的近い考えを持った人を挙げ、まるで過去にも「エホバの証人」がいたかのような主張をすることがあります。

歴史の記録を調べると分かるように、特に15世紀以降、偽クリスチャンつまり「雑草」のようなキリスト教世界の一般の人々の間でも様々な考えが生まれるようになりました。
「『畑』で働く 収穫の前に」『ものみの塔』2000年10月15日号、26ページ

この記事の中で協会は、ヘンリー・グルー、ジョージ・ストーズを挙げ、「二人は大半の人に比べて、はるかに真理に近づいていました。」と述べています。しかし、こういった人々が当時のエホバの証人でなかったことは確かです。なぜなら、雑草が小麦に変わることも、小麦が雑草に変わることもないからです。

注目すべきなのは、この「雑草」は、タルムードを信奉するユダヤ人や他の人々がかつて信じていたような、小麦が変質したものではないということです。小麦の種は決して雑草に変わることはありません。これは、「地は草を、種を結ぶ草木を、……その種類に従って産する果実の木を地の上に生え出させるように」というエホバの不変の法則に反します。(創世 1:11、12、新)
「小麦と雑草を産出する畑」『ものみの塔』1981年12月1日号、20ページ

つまり、例え真理に近づいていたとはいえ彼らは雑草であり、小麦を自称するものみの塔協会とのつながりは全くありません。

以上のように、神が現在のものみの塔協会につながる唯一の組織を用いて人類を導いてこられたという事実はありません。古い時代のことであり、記録が残っていないだけだという意見があるかもしれません。それでも、ラッセルの直接の先祖となる組織の記録は残っているはずです。その組織はどうやって世界中の真のクリスチャンを導いていたのでしょうか。そして、ラッセルはどのようにその組織を引き継いだのでしょうか。

そのような組織など存在していなかったという事実は、「神は一つの組織を用いて人々を導いている」という主張や、その組織に属さなければ滅ぼされてしまうという教えが誤りであることを示しています。イエスはこの小麦と雑草の例えを、以下のように続けておられます。

畑は世界です。りっぱな種、それは王国の子たちです。
マタイ 13:38

ここでイエスは小麦の種を、人間一人一人に例えておられるのではないでしょうか。つまり、どの組織に属しているかが重要なのではなく、その人自身がどういう人物であるかという点が重要なのではないでしょうか。


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